2025年夏の参議院選挙にて鹿児島選挙区から出馬予定の尾辻朋実氏。
自民党の公認候補から外れてしまいましたが、それでも出馬するために奮闘しています。
そんな彼女の父親は自民党の重鎮である尾辻秀久氏です。
この記事では、尾辻朋実氏の経歴や学歴、そして父親・尾辻秀久氏の経歴もあわせて詳しく解説します。
それでは、今回の記事では
・尾辻朋実の経歴とwiki風プロフ!
・尾辻朋実の父親は自民党のベテラン政治家!
について、リサーチします。それでは行ってみましょう!
尾辻朋実の経歴とwiki風プロフ!

尾辻朋美氏の経歴・学歴・プロフィールをネット情報からまとめてみました。
経歴
尾辻朋実氏は、自民党参議長の尾辻秀久氏の三女。
鹿児島市出身。早稲田大学政治経済学部を卒業後、商社や弁護士事務所を経て、
2019年から父親・尾辻秀久氏の秘書務めていました。
尾辻氏は、自民党現職で今期限りでの引退を表明している尾辻秀久・前参院議長(84)の三女。鹿児島市出身で商社や弁護士事務所を経て、2019年から秀久氏の私設秘書を務めてきた。
出典:読売新聞
- 1981年1月17日生まれ。鹿児島県鹿児島市出身
- 早稲田大学政治経済学部卒業
- 2004年 – 2007年:三井物産株式会社に勤務
- 2004年 – 2018年:弁護士事務所
- 2019年 – : 父・尾辻秀久氏の秘書を務める
- 2025年夏:参議院選挙に立憲民主党推薦で立候補予定
出身高校
尾辻朋実氏の出身高校に関する情報は公開されていませんでした。
彼女は早稲田大学政治経済学部を卒業されるほど優秀な成績の持ち主でしたので
鹿児島市でも有名な進学校に在籍していた可能性は高いと推測できます。
そうなると、鹿児島市で有名な進学校となると、
鶴丸高等学校か鹿児島中央高等学校のいずれかの高校ではないかと推測しました。
鶴丸高等学校

- 早稲田大学合格者数 : 15名(2020年、現役5名)
- 偏差値 : 72(鹿児島県内トップクラス)
- 特徴 : 鹿児島県内の公立高校で最高峰の学力を誇り、旧帝大や難関私立大学への進学実績も豊富。

鹿児島中央高等学校

- 早稲田大学合格者数 : 3名(2023年)
- 偏差値 : 67(県内でも上位校)
- 特徴 : 公立高校として安定した進学実績を持ち、国公立大学への進学者が多い。
出身大学

尾辻朋実氏は 早稲田大学政治経済学部 を卒業されています。
政財界に多くの人材を輩出する名門大学。
政治に関する専門知識を深めたことが考えられますね
プロフィール
- 名前 : 尾辻朋実(おつじ ともみ)
- 年齢 : 44歳(2025年現在)
- 生年月日 : 1981年1月17日
- 出身地 : 鹿児島県鹿児島市
- 出身高校 : 非公表
- 出身大学 : 早稲田大学政治経済学部

尾辻朋実の父親は自民党のベテラン政治家!

尾辻朋実氏の父親は、 尾辻秀久(おつじ ひでひさ) 氏。長年にわたり自民党の要職を務めたベテラン政治家です。
彼の経歴や学歴・プロフィールをリサーチしました。
父親の経歴

鹿児島市で生まれ、高校卒業後防衛大学に入学しますが、母親の急死により中退。
その後3年後に東京大学教養学部に入学しますが、東大紛争で授業が行われずその後醜態してしまいます。
政治の道に進み始めたのは1971年から、そこから2025年現在まで政治の政界で活躍をしてきました。
現在も参議委員長を務めておられます。
- 1940年10月2日生まれ(84歳)
- 鹿児島県鹿児島市出身
- 1958年: 鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校卒業
- 1958年: 防衛大学校入学
- 1961年頃: 防衛大学校中退(3年生の8月に母親の急逝により)
- 1964年: 東京大学教養学部入学(23歳
- 1966年: 東大紛争の影響で授業がほとんど行われず、諸外国を放浪
- 1971年: 帰国し、東京大学教養学部中退
- 1979年: 鹿児島県議会議員に初当選
- 1986年: 衆議院議員総選挙に出馬するも落選
- 1989年: 参議院議員通常選挙で初当選
- 1992年: 宮澤改造内閣で総務政務次官に就任
- 1994年: 村山内閣で沖縄開発政務次官に就任
- 2001年: 第1次小泉内閣で財務副大臣に就任
- 2004年: 第2次小泉改造内閣で厚生労働大臣に就任(初入閣)
- 2005年: 参議院予算委員長に就任
- 2007年: 自由民主党参議院議員会長に選出
- 2010年: 参議院副議長に就任
- 2012年: 日本遺族会会長に就任
- 2022年8月-現在: 第33代参議院議長に就任
プロフィール
- 名前 : 尾辻秀久(おつじ ひでひさ)
- 年齢 : 84歳(2025年現在)
- 生年月日 : 1940年10月2日
- 出身地 : 鹿児島県鹿児島市
- 現職 : 参議院議長(第33代)

尾辻朋実が参議院選挙に立候補したかった理由!

自民党の公認候補にならなかった理由
尾辻朋実さんが自民党の公認候補になれなかったのは、鹿児島県連での選考段階で落選してしまったからです。
父が参院議員ということもあり注目されていましたが、
他の候補者との競争の中で最終的に園田修光さんが選ばれました。
経歴や論文の内容も審査されたようですが、選考の過程には不透明な点もあり、
「本当に公平だったの?」という声もあったとか。
県連内でも意見が分かれていたらしく、結果的に尾辻さんは自民の公認を得られず、
無所属で立候補し、後に立憲民主党の推薦を受ける流れとなりました。
政治の世界、なかなか一筋縄ではいかないですね。

参議院選挙に立候補したかった理由3選!
参議院選挙にて鹿児島選挙区から公認候補に選ばれなかった尾辻朋実さんですが、
無所属としてでも参議院選挙に立候補したかった理由を独自の視点で調査しました。
そこには、尾辻朋実さんの政治家としての想いを感じることができました。
① 諦めきれない「政治への思い」
尾辻朋実さんが参議院選挙に立候補した理由のひとつは、「政治に関わりたい」という強い使命感です。
自民党の公認を得られなかった後も、気持ちは変わらず
「このまま引き下がるわけにはいかない」と立候補を決意。
自分の思いを形にするには、自ら行動するしかないと考えたそうです。
選考に漏れてもなお、挑戦する姿勢に彼女の覚悟がにじんでいます。
② 現役世代としての責任を果たしたい
尾辻朋実さんは、自分の世代こそが社会保障や人口減少といった
大きな課題に向き合うべきだと語っています。
「将来のことは将来世代に任せる」ではなく、「今の私たちが制度を作らなければ」との想いが強いのです。
現場のリアルな声を政策に反映させたいという意欲が感じられます。
③ 党派を超えた政治を目指したい
無所属での立候補を選んだ理由には、「党の枠にとらわれず、広く国民の声を拾いたい」という考えがあります。
政党政治に縛られず、もっと自由に市民と向き合う形を模索しているのです。
また、政治家だった父の姿をそばで見てきたからこそ、
「今の政治に足りないものを、自分なりの視点で変えていきたい」という責任感もあったと思います。
しがらみのない立場から、まっすぐに市民と向き合う覚悟が伝わってきます。

まとめ
尾辻朋実の経歴とwiki風プロフ!父親は自民党のベテラン政治家!について、リサーチしました!
尾辻朋実氏の経歴・学歴・プロフィール。
そして父親・尾辻秀久氏の経歴もわせて調査しました。
父親は自民党の重鎮である尾辻秀久氏ですが、
尾辻朋実氏自身は「今の政治を変えるために立ち上がる」として無所属出馬を決意しています。
自民党と野党の間で揺れ動く背景には、今後の政局にも影響を与えそうですね。
以上で報告終了します。
最後まで読んでくれてありがとうございます!
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